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ゴーン・ベイビー・ゴーン

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(2008/09/17)
ケイシー・アフレック、ミシェル・モナハン 他

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ゴーン・ベイビー・ゴーン























未だによく解らない感情(感覚といってもいい)がある。
“幸せ”だ。
その定義は種種あると思う。
生活環境や状況は客観的に測れるけれど、人の内面から出てくる感情は主観によるもので、本人しか測れない。
「あなたは幸せですか」
この質問に一体何人が答えられるだろう。
私はいつだって「解らない」。
もちろん、“幸せ”という感情を喜怒哀楽のようにシンプルに感じることができる人もいると思う。
考えてみえば、複雑化は私の心がそうしているのだから、単純に感じることも可能なのかもしれない。
けれども、それが難しい。
自分にとって何が幸せで、どういう感覚なのか、全く解っていないからだ。
人生は三分の一以上過ぎている。
この先、解る日は来るのだろうかと思う。

私のように、本人にとってすら難しい“幸せ”という感情を、他人が測ったりしてはいけないのではないか。
(作中で)主人公と犯人が言うところの“幸せ”とは、環境や状況を鑑みてのことだと思うが、それでも当人がどう感じるかは周囲がどうこう言える問題ではないだろう。たとえ、まだ年端のいかない子であったとしても。
「あの子のことを考えて」は、はたして、「あの子の“内面”まで考えて」なのかなと思う。
あの子が言ったのだろうか。「家に帰りたくない」とか「ここがいい」とか。
少なくとも口に出さないかぎり、はっきりとした意思表示がないかぎり難しい感情を、周りが『こう』だと決めつけるのは勝手だと思う。
どうしても、それは、自分の考えを『押しつけ』ているようにしか見えないのだ、私には。

結局のところ“正解”なんてないのだろう。
主人公のとった行動も法律的に見て“正しい”のであって、各々の人にとってはどうか解らない。
私は上に書いたように、「人の幸せは他人が決めるものではない」という考えだ。
だから主人公に同意する。
けれど、まだ幼いあの子に、そもそも、意思表示を求めること自体無理なのかもしれない。
あの子の“幸せ”を周囲が考慮し、思いをくみ取る必要があったのかもしれない。
つまりは、何も起こらないうちに、そのことを考えるか考えないか。
どの程度まで考えて、そして、行動するのかしないのか。
犯人が考えて行動に移し主人公がそれに反したのは、その違いによるものにすぎない。
あの子の“幸せ”は全員が願っているはずだ。
それをどう測るか(測ったか)だけなのだと思う。
人の“幸せ”を他人が決めつけるのは『押しつけ』だけど、そう考える私もまた、自分の考えを『押しつけ』ているのだから。

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