全部気のせい

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エメランスの扉
メディア: 映画
上映時間: 98分
製作国: ハンガリー/ドイツ
公開情報: 劇場未公開・WOWOWで放映
ジャンル: ドラマ

監督: イシュトヴァン・サボー
製作: イェヌー・ハーベルマン/シャンドル・ズーツ
原作: マグダ・サボー
脚本: イシュトヴァン・サボー/アンドレア・ヴェーシツ
撮影: エレメール・ラガーイ
編集: レーカ・レムヘニュイ
出演: ヘレン・ミレン/マルティナ・ゲデック/カーロイ・エペリエシュ/アーギ・スィルテシュ
エメランスの扉




















常々、秘密主義だと言われる。
別に隠すほどの内情をそれほど持ち合わせているわけではない。
ただ、臆病なだけなのだ。すべてをさらけ出すことが怖いのだ。

隠したい自分の恥部を人に話すことは、開放感を覚えたり肩の荷が下りたような気持ちになることはもちろんある。
でも、全部を出してしまうと自分が空っぽになったような気分になる。さらしすぎて何も残らないのだ自分には。
本当はすべて自分の中にちゃんとあって、なくなるわけではないのに。そう感じずにはいられない。
かといって、自分を解放できずにいるのも苦しい。一部の人には知ってもらいたいこともある。
それによって自分のさらけ出せる部分が増えるからで、つまり、取り繕わなくてよいのだと思うと気が楽になったりする。
これを書いていて、自分はなんて矛盾した考えの、面倒くさい人間なんだろうと思ってきたが、実際そうなのだからどうしようもない。

当然、恥部をさらすことに別の不安もある。
“ひかれる”ことだ。失望されることだ。
私は、知らない人や初対面の人、仲良くない人などには、知られることは特に怖くないのだが、長年の知り合い、友人たちには知られたくなかったりする。
さらけ出すことで態度が変わるんじゃないかと、不安に思うのだ。
築き上げた関係にヒビが入るのではないか、その人が離れて行ってしまうのではないか、何より嫌なのは、表向きは仲良くされ、裏では嫌な反応をされることだ。
それを絶対避けたいがために、どうしても隠してしまう。
秘密主義の私が出来上がるのである。

そう考えると、エメランスの隠しごとは周囲が作ったと言っても過言ではないだろう。
周りの人々は彼女を尊敬し、信頼し、「変わり者」と言いながらも愛していた。
彼女は裏切りたくなかったのではないか、周囲の期待を。
スポーツ選手が期待にこたえ続けるために努力するように、彼女もまた、周りの“思い”に報い続けるため隠しごとを続けたのではないか。
もちろん、その根元は、幼いころの体験や戦争などで成立していった彼女の考え方による周囲との距離の取り方だったのだろう。
だから彼女は隠しごとを続けた。
自分を守るためではなく保つために必要だったのではないだろうか。
彼女がある女性にのみ秘密をさらけ出したこともまた、自分を保つためだったのだろう。自分をさらけ出した女性の思いにこたえたかったのだろう。
隠しごとは、ある種、敬虔な態度に思える。しかし(だからこそ)、続けることは困難だ。
月並みな言い方になるが、自分が自分でいるためにエメランスは内側を見せたのだろう、女性に対して。
扉を開けたことで、彼女の心は平穏になったと思う。
すべて変わってしまったけれど――――閉じたままにしておかなくてよかったと思うのは、きっと私だけではないはずだ。


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