全部気のせい

本、映画、音楽の鑑賞雑記ブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:-- | スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
夏を殺す少女

夏を殺す少女 (創元推理文庫)夏を殺す少女 (創元推理文庫)
(2013/02/21)
アンドレアス・グルーバー

商品詳細を見る

夏を殺す少女(字あり)


























二人以上の主人公がそれぞれ別の事件に関わり、解明していくにつれ当初無関係だったそれらは徐々に交差していき、やがて一つになる…こういった作品は多くある。
このストーリーも主人公が二人いる。
連続殺人事件も二つ存在する。
では、“夏を殺す少女”は?
私は、彼女もまた、複数いると考える。

人間の内面ほど難しいものはないのではないだろうか。
少女もまた、そうだと思う。いや、正しくは少女たち、か。
私にはとてもすべてを汲み取ることなどできないだろう。
その内側にあるものを。体に宿る心を。
人生にはいろいろなことが起り、一生は様々な事柄が連なって作られていく。
同時にそれに伴い、人格というものもまた、様々な要因が重なって形成されていく。
一人の人間は、多くのことに複雑に関係して出来ていくのだと思う。
その上、人間は五感を持ち、感情を持ち、類いまれな思考能力を持つため、経験する事象によっていくらでも複雑化していく可能性がある。

彼女たちの心は極めてそうだったに違いない。
それを誰が責められようか。
庇護されても、とがめられはしないだろう。
ここで、彼女たちの起こした事件の善悪を論じる気はない。
どうしてそのような事件を起したのか、少女たちの内面に注視したいと思った。
自己防衛のために形成された人格。
そして再びその本能に突き動かされて事件を起こす彼女たち。
“夏を殺す少女”は――少女“たち”は――、自分たちの夏を殺され、それゆえ、他人の夏を殺したのだろう。
復讐などではない、すべては自分を護るという人間の持つ、生き残るための術だったのだと思う。

スポンサーサイト
Comment
≪この記事へのコメント≫
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
≪この記事へのトラックバック≫
Designed by aykm.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。