全部気のせい

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ラガド 煉獄の教室
ラガド




















ほとんどの人が空気を読んで生きている。
空気を読まない人は敬遠されるような世の中だ。

空気を作り出すことは可能だ。
例えば職場で上司や同僚が残業しているならそこには残業を強いる空気が流れる。例えば仲間内での会話でみんなが「面白い」と笑うならその場の空気は“笑わなければいけない”ものとなる。
このように空気を意図的に作り出すことは可能であるがどれも一時的なものだ。継続したものを生み出すのは難しいだろう。
しかし、人間関係、社会関係、利害関係によってある程度は可能かもしれない。
弱みを握られた人や借りがある人は、握った人、貸した人に逆らいづらい。一社員が社長に逆らうのも難しい。
強制ではないのに抗いづらい空気―――“抵抗したらどうなるか”という恐怖心によって生じる空気だ。
それは人の感情を利用した脅迫に近いものだと思う。

けれども、この話の中で作り出されようとした空気は上記のものとは違う。
学校の、クラスという閉ざされた空間であれば少なからず、快いとは言い難い空気が存在するとは思うがそれとも明らかに違う。
誰も自分に影響を及ぼしているものに気付かず、その空気の渦中にいることすら分からなかっただろう。
いや、気付いてはいたけれど、その空気が本来存在する空気と同一もしくは似たようなものだと感じていたのではないだろうか。
だから違和感がありながら、それは、クラスの中に身を置く者としては当たり前に感じるものであるため分からなかったのだと思う。

今まで――空気――と言ってきたそれは知らず知らずの内に行われた働きかけによって生じた。
その働きかけとはいわば洗脳みたいなものだと思う。でも、私が知っている洗脳とは恐怖心や不安感を利用して行われるものであるけれど、このクラスで行われたものは違う。
何より直接の干渉があってこそ可能な洗脳が、この場ではそうではない。
最後まで明かされていないのでプロセスは謎のままだけれど、誰も気付いていないことから直接的な働きかけはなかったと思われる。誰にも知られることなく(恐怖や不安を感じることなく)洗脳し、その場の空気を支配する――そんなことが出来たならとても恐ろしい。
その恐ろしい空気がこのストーリーの事件の真相となる場面で流れたのだ。(正確には流れかけた。)
あの場はどんな感じだったのだろうか。
あの瞬間の空気はどんな感触だったのだろうか。
自分がもしその場にいたなら、その渦中にいたなら―――。

最後に。私は初め、その空気を作り出そうとした人間は(空気を支配することによって)絶対的な権力を手に入れようとした悪者のように思っていた。
でもそうではないんじゃないかと今は思う。
彼女が発した重要な言葉と彼女の行為によって犠牲者が出たことが、そう感じさせたのだ。
あのこは飽くまで良いと信じてやったのだと思う。自分の利益ではなく正義感のもとで。
例えそれが正しくないことだったとしても彼女の中では間違っていなかったのだ、決して・・・。


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