全部気のせい

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シーソーと消えない歌

彼女の歌はきっと死なない彼女の歌はきっと死なない
(2012/09/12)
それでも世界が続くなら

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収録

僕は君に武器を渡したい僕は君に武器を渡したい
(2013/09/04)
それでも世界が続くなら

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収録
シーソーと消えない歌





















この曲を聴くたび思い出す曲がある。
amazarashiの“千年幸福論”だ。
“シーソーと消えない歌”は「終わらないものなんて なくてよかったなあ」と歌い、“千年幸福論”は「終わりはいつも早すぎる」と歌う。
二曲は対極にあるようでそうではないと思う。
なぜなら、“シーソーと消えない歌”で歌われる『終わり』とは、痛みや別れなどの辛かったり悲しいといった感情が生まれるものに対してであり、“千年幸福論”では、(タイトルからも分かるように)幸せなどの嬉しかったり楽しいといった感情が生じるものに対しての『終わり』を歌っているからである。
対象が違うので、決して反対のことを歌っているわけではないと思うのだ。

この曲は、アルバム“彼女の歌はきっと死なない”に収録されている。(メジャーデビューアルバム“僕は君に武器を渡したい”にも所収)
それでも世界が続くならの1stアルバムである。
このアルバムの曲はどれも私にとって良作なのだが、何と言っても一曲目に収められている“シーソーと消えない歌”が素晴らしい。
シーソーの特徴――片端が地面に着くと反対の端が上に上がること――を生死にたとえて歌っていたりするところは、上手いなあと思う。
共感できる歌詞に、どことなく不安定な声と歌い方、メロディの切なさも好きなところだ。
私にとって、不安定さはかえって居心地がいいのである。

(上に書いたように)この曲のタイトルにあるシーソーとは、生死のことだ。
では、シーソーの下がった側がこの曲“シーソーと消えない歌”で、上がった側がamazarashiの“千年幸福論”とも考えられないだろうか。
そうすると、二つの曲が歌っていたのは、やはり、同じ線上のことだったと思える。
誰しも辛いことは早く終わってほしいし、幸せなことはずっと終わらないでほしいと願う。
二つは、同じ一つのシーソーの曲なのだろう。

余談になるけれど、私はここで“シーソーと消えない歌”を取り上げているが、もし気になったならamazarashiの“千年幸福論”も聴いてみてほしい。この曲はアルバム“千年幸福論”に収録されている。

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