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トールマン

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(2013/03/13)
ジェシカ・ビール、ジョデル・フェルランド 他

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トールマン





















人の幸せは他人には決められない。
決めつけることは“押しつけ”と同じだ―――。

上に書いたことは映画“ゴーン・ベイビー・ゴーン”の項で書いたものだ。
この映画を観て思い出した。
そのため、再びこの問題を抱えることになった。
“幸せ”とは何か。
“幸せ”を他人が決めつけ、与えることは正しいのか。
しかし、考えれば考えるほど分からなくなっていく。

そもそもこの作品では、“幸せ”は少し的外れな言い方になってしまうと思う。
与えたのは“幸せ”ではない。“選択肢”なのだと思う。
そうすると少し考えも変わってくる。
選択肢を与えることは正しいと思うのだ。
いや、正確には「間違っている」とは思わないのである。


閉ざされた機能していない社会では初めから選択肢が限られている。
自分で視野を広げようとしても子供では無理に近いし、成長してからも大変な労力が必要だろう。
そもそも、選択肢がさらに狭くなっている可能性もある。
そんな彼らに、手遅れになる前に――大人になる前に――選択肢を与えることは間違いではないと思う。
多くの可能性の中から何でも選べるようにするのだ。
どの社会の子供も等しく、同じように。
その中から、何を選び自分の“幸せ”とするのかは本人の判断に任せる。
これならば、幸せの押しつけにもならないだろう。
だから私は賛成する、選択肢を与えることに。ただ、一つの問題を除いてだが。
その問題とは手段である。

この作品のもっとも重要なポイントは選択肢を与える“手段”にあると思う。
合法、非合法の問題もあるが、法律的なことに目をつぶれば何より、道徳云々の話になるだろう。
何を正義とするか、の問題なのだ。
しかし、これを考えることは非常に難しい。
視点によって考え方は180°変わってくる。
第三者の私にとっては、他人事のように非合法なことはダメだと言える。
でも、当事者になってみたらどうだろうか。そもそも法律上のことなど問題視していないのだ。
選択肢を与えることは間違いではない。むしろ、与えなければいけない。
では、どうするか。
順序立てて、必要な許可などを取って…、はたしてそれは可能だろうか。
個人の力だけでどこまでやれるだろうか。
可能だとして、うまくいくだろうか。
手遅れにはならないだろうか―――。
やはり私は、考えれば考えるほど分からなくなっていく。


人の幸せは他人には決められない。
ただ、可能性を広げてあげることは間違いではない。
できればその手段は合法的なものでありたい。
しかし、時として、そうも言ってられないのかもしれない………。

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