全部気のせい

本、映画、音楽の鑑賞雑記ブログ
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ヤサシイワタシ
ヤサシイワタシ

























落ち込んだ時、人はよく「落ちるところまで落ちたらあとは上がるしかない」と言うけれど、それは半分間違っていると思う。
私はどん底の下にはブラックホールがあると思っている。ブラックホールとはいわゆる“死”のことだ。

この作品の中で、澄緒は「ふくらんでいく風船みたくなるときがあって いっそもうわっちゃった方がいいやって たった今――ってなっちゃう時があるの」と言い、芹生は「高いところにしがみついてるような気がしてる 耐えられなくなったら手をはなせばいいって」と言った。
それは私が思うところの、どん底とブッラクホールの境目のことだろう。

彼らが言うように、一度落ちてしまったらそこから這い上がるのはとても難しいと思う。
人は簡単に“再生”できない。
でも、生きている限り“再生”し続けなければいけないのも事実だ。
簡単に“再生”できないのと同じく、人は容易に落ちてしまうものだから。

芹生も澄緒もそうやって生き続ける。
そしてきっと、弥恵さんもそうやって生きてきたのだろう。

弥恵さんは自分にも周りにも正直すぎる人間に見えた。
自分の欲求に素直すぎることが欠点となって、その結果、周囲と衝突してしまうことの多い要注意人物のようになっているのだと思った。

そんな弥恵さんが、芹生の“再生”の力となり一転して突き落とす原因となる。
相反する二つの影響を他人に及ぼすというのは、すごい力を持っている証だと思う。少なくとも芹生にとっては。
そのことに彼女が気付かなかった、気付けなかったことが惜しい。
上に挙げた彼女の欠点となりうる要素が私は決して嫌いではなかった。だから余計にそう思う。
「力全部いい方へ使ってるとこ見たいですよ」と芹生が言うように、彼女の心が落ちる方ではなく“再生”の方へ向かっていたなら。
芹生の“再生”の力となれたのだから、自分の“再生”のためにも使えたのではないか。

けれど、それに反して、私も芹生と同じことを思ってしまうのだ。
「うまくやってるトコ 想像できない」、と。
「ムリだろう」、と・・・。


芹生は再生していくだろう。突き落とした弥恵さんを逆に力に変えて再生していくだろう。
だって彼は生きているのだから。

これからも生き続けていくのだから。

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