全部気のせい

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さよならペンギン
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偶然って何だろう。

辞書には「何の因果関係もなく、予期しない出来事が起るさま」とある。
哲学によると「ある方向に進む因果系列に対して、別の因果系列が交錯してくる場合。人間の認識の不完全さのために常に偶然的事件が起る」のだそうだ。

確かに、人間の能力が向上すれば(もっと視野が広がりあらゆる方面から物事や時系列を見れるようになれば)、今まで偶然だったことはすべて、必然の出来事に変わると思う。
そもそも、偶然なんてものは一方から見た場合の事象であって、他方から見たらそうとは限らない。
偶然は常に必然になる可能性があるのだ。

この作品の中で起る多くの偶然は、そのときその瞬間では偶然の出来事であった。でも、事が起った後に改めて見てみると、すべては必然であったように思える。
いや、もともとそうだったのだろう。必然だった。他方から見れば。
南部の目を通して見ることによって、それらは偶然の出来事となったのだと思う。
と言っても、フィクションの物語においてはすべての事柄が必然に違いないから、こんなことを考えること自体おかしいのだろうけれど。

それでは、現実ではどうだろうか。
人生は、多くの偶然(あるいは必然)によって成り立っている。今いる自分は、“あのときのあの出来事”というものがいくつも繋がって作られている。
“あのときのあの出来事”は、偶然かそれとも必然に起ったのか。
私にとってはほとんどが偶然に見えるけれど、人によって、また、場合によってそれは異なると思う。
自分の現状に意味を見出したい人の目には、すべて必然に映るだろう。
もちろん、起ったときは偶然であり、予期しない出来事だったものもあるに違いないが、後になってそれは必然に変わっていき、まるで初めからそうであったように見えるのだ。
人の認識一つで反転しうる、とても曖昧なものなのだと思う。

作中では南部も、様々な出来事に対し後になって、「これは本当に偶然なのか」と首を傾げている。
その結果、“偶然を装った”と認識を変えた。その瞬間、偶然は必然へと変わった。
南部にとっても、すべてが“意味があった”のだ。

これによって、彼は、今後起る偶然の事象が必然だと思うことも多くなるだろう。
自分の人生に意味があることを知ったのだから。
自分の存在を肯定することができるのだから。
そのことで、彼は救われるように思う。
そうであればいいと思う。
他の誰でもなく、南部にとって絶対的な救いになってほしいと、私は願っている。

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